欺瞞 (ぎまん)


欺瞞、サタン、悪魔、嘘の父、偽宗教

欺瞞 (ぎまん):真実ではないことを信じ込ませて人を欺く行為


【ポイント1】

まず始めに、私たちは敵が誰であるかを決して忘れてはいけません。
彼は嘘の達人であり、 何度も使いまわし洗練させてきた方法を使い、私たちの中で最も聡明で賢明な人たちでさえ騙すことができるのです。 彼は約6000年間、人類を欺くために懸命に働いてきました。彼を出し抜くことが出来ると思うなら、考え直したほうがいいでしょう。

彼は、神の存在を信じるすべての人が、自分が救われていないにも関わらず、自分は救われたと信じることを望んでいます。彼は自分自身が神として崇拝されることを望んでいます。もしあなたがアッラーを信じ、死んだら天国に行けると安心しているなら、アッラーは自分の仕事を終えて、唯一の真の神を探している人にターゲットをしぼることに集中できます。 もちろん、私たちの敵は私たちが神をまったく信じないことを望んでいるでしょう。

彼はサタン、ルシファー、悪魔、ドラゴン、嘘の父などと呼ばれています。 彼は嘘が真実であると人々に信じ込ませ、その嘘を信じた人々が、その嘘をさらに他人に教えることによって人々を騙し続けています。

ここに多くのイスラム教徒を困惑させた大嘘があります。イスラム教徒は、イエス・キリストが真の預言者であったことは認めるが、イエス・キリストが救世主であることは否定し(一部の西洋イスラム教徒はイエスが油そそがれた者と言うが)、【イエスが神の子として肉体に現れた神自身である(ヨハネ1章 14) 】ということを否定しています。そして彼らは、イエスが十字架で死んで復活したことを否定するのです。 それは理に全くかなっていません。しかし、ほとんどのイスラム教徒はその嘘を深く信じていて、自分たちの信仰に疑問を持たないため、このようなことを考えたこともありません。 イエス・キリストご自身が自分は救世主であり、神の子であると言ったので、彼らが信じていることは真実ではあり得ません。

 


25 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシア(救世主)が来られることは知っています。その方が来られる時、一切のことを私たちに知らせて下さるでしょう。」26 イエスは言われた。「あなたと話しているこの私がそれです。」
ヨハネの福音書 4:25

イエスは、ユダヤ人たちが彼を追い出したことを聞いた。そして彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」36 その人は答えた。「主よ、私が信じることが出来るように教えて下さい。その人はどなたですか。」37イエスは彼に言われた。「あなたはその人を見ています。あなたと話しているのがその人です。」
ヨハネの福音書 9:35-37

大祭司は再びイエスに尋ねた。「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか。」
62 そこでイエスは言われた。「わたしが、それです。」

マルコの福音書14:61-62

 

ということは、イスラム教の教えによれば、彼は偽預言者ということになってしまいます。 しかし、これは15億人もの人が信じこんでいる嘘です。 私たちは、イエス・キリストが肉において現れ、私たちの罪のために十字架につけられ、復活された神ご自身であることを絶対に信じなければなりません。 これが福音です

 

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【ポイント2】

聖書のある箇所では詳しく説明されているが、別の箇所では別のことを言っているように見えるが、あまり明確ではない箇所がある場合は、詳しく説明されている箇所を信じてください。 非常に多くの人が、正確な真実を具体的に指摘しているわけではないものを示し、その神秘的な一節について勝手な「定義」を与えることで、他人を誤った「解釈」の道に導こうとします。
これは神の神秘なのです。 神は、真理を愛さない人々に彼らが求める言い訳を与えるために、意図的にそうしたのです。 そうした人々の話に耳を傾けたり、聖書の残りの部分を調べずに聖書の注釈や説明書を読んだりしないでください。 聖書には理解するのが難しいフレーズや文章がたくさんありますが、その主な原因は当時の文化や人々の文化の違いによるものです。 聖書はほとんどの場合、複数の箇所で真実を具体的に指摘しており、聖書は嘘をつきません。 聖書自体に矛盾はあり得ませんし、矛盾があるとあなたに説得しようとする人は、神は嘘つきだとあなたに告げているのと同じです。 彼らの言うことを聞かないようにしてください! 自分で聖書を読んでください! そして決して忘れないでください。聖句を文脈から切り離して読むことは、誤解してしまうという大変な危険性をはらんでいます。


偽りの教えに関する警告は数多くあります。
例えば

空しい騙しごとの哲学によって、とらわれの身にならないように注意しなさい。
それは人の言い伝えや世のもろもろの霊によるものでありキリストによるものではありません。

コロサイ人への手紙 2:8

蛇がその狡猾さでエバを惑わしたように、あなたがたの思いが堕落して、キリストにある真心と純真さから離れてしまうのではないかと、私は恐れています。
コリント人への手紙 第二 11:3

終わりの時、つまり私たちが今生きている時代には、多くの偽預言者 (真理を教えず、イエスの名で来たふりをする人々) が現れ、多くの人を惑わすとイエスは言っています。

また、多くの偽預言者が現れて、多くの人を惑わすでしょう。
マタイの福音書 24:11

あなたが信頼している人があなたの心を曲げるのを許さないでください。心から神の真理を求めてください。そうすれば、神はあなたを真理へと導いてくださいます。すでに何年も信じてきた考えや物事があるなら、心を開いて、しばらくそれらのことを忘れて、真実を本当に探してみてください。その考えに戻ってはいけないと言っているのではありません。あなたが正しいかもしれないからです。しかし、すぐに捨て去らずに、新しい真実を心に受け入れてみてください。それが真実なら、神は御言葉を通してあなたにそれを明らかにしてくださいます。

ほとんどの人は理解できないでしょう。

聖書が互いに完全に、そして正確にかみ合うためには、非常に狭く、限定的で、正確な解釈が必要であり、「ほんの少数」の人だけが理解しそれに従うことが出来るのです。


13. 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広くそこから入って行く者が多いのです。
14 命に至る門は狭く、その道も細いのです。そしてそれを見いだす者はわずかです。

マタイの福音書 7:13

罪深い人間の自己意志は、自分の人生における罪に焦点を当てず、広く、広範で、曖昧で、混乱を招く解釈を望みます。

3 人々は健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地のよい話を聞こうと、自分の好みに従って自分たちの為に教師を寄せ集め、
4 真理から耳を背け、作り話に心を奪われる時代になるからです。

テモテへの第二の手紙 4:3-4

神の神秘について誰かが話しているのを聞いたことがありますか?あなたが真理を愛し心から神を求めない限り、神は物事を神秘に包み込んだ上で、理解できないように聖書を書いたのです!それは解釈の問題だと言う人もいるでしょうが、真実は一つしかなく、いかなる「解釈」もそれを変えることはできません。騙された人々に作り話や嘘であなたまでもが騙されないでください!

神は彼らが言い訳をすることを許されるので、嘘にさえ安心感を覚えるのです。

10 またあらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う心理を愛をもって受け入れなかったからです。11 それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。
テサロニケ人への手紙 第二 2:10

私たちは真理を愛し、心を尽くして神を求めなければなりません。さもないと、神は強い惑わしを送って、あなた方が偽りを信じるようにされます。

すると、弟子たちが近寄ってきてイエスに言った。「なぜ、彼らにたとえで話すのですか。」
11 イエスは答えて言われた。「あなた方には天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていないからです。 12 持っている者はさらに与えられて豊かになるが、持っていない者は持っているものまでも取り上げられるからです。 13 だから、私は彼らにたとえで話すのです。彼らは、見てはいるのに見ず、聞いてはいるが聞かず、悟ることもしない。 14 そして、彼らの中にイザヤの預言が成就する。「あなたがたは聞いても理解せず、見ても悟らない。 15 この民の心は鈍く、耳は聞こえず、目は閉じている。それは、彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返ることもないように。そしてわたしが彼らを癒すことのないように。」

マタイによる福音書 13:10-15

真理を信じようとしない人もいます。なぜなら、そうすれば人生を変えなければならないからです。神は聖書に織り込んだ神秘で、彼らが望む言い訳をすべて与えます。神の神秘は、「真理を求める者」と、「言い訳を求める者」を分け、はっきりさせるのです。

それでもなお私たちの福音に覆いがかかっているとしたら、それは滅びゆく人々に対して覆いが掛かっているということです。
コリント人への手紙第二 4:3 

聖書は、私たちが迫害を受けると教えています。

そうです。キリスト・イエスにあって敬虔に生きる者はみな、迫害を受けるのです。
テモテへの第二の手紙 3:12

からかわれたり少数派になったりするのは好む人はいませんが、あなたが「宗教」の「主流派」であるなら、つまり大多数の人が信じていることを信じているなら、真剣に自分で聖書を読み始め、神に真実を見せてくださるようにお願いしたほうがいいでしょう。

ここで少し個人的な話をしますが、短くまとめたいと思います…

私は幼い頃バプテスト教会で育ち、10代前半に家族はよりリベラルなプロテスタントの信仰に転向しました。11歳の時に弟が亡くなり、私はその時点で神に背を向け始め、神がしたと思ったことを神に責め、憎むようになりました。私は神が弟を死なせたのだと思い、また弟を救うためにそこにいなかったことを悔やみ、自分自身を責めました。今では、それが真実ではなかったことを理解しています。彼を殺したのは神ではなく、彼を救うために私がそこにいることも当然不可能でした。しかし、少年の頃の私はそのことを理解できませんでした。今では、物事が変化したのは罪のためであり、「人々の心の悪」と「サタンの欺瞞(ぎまん)」が、今世界で起こっている恐ろしくひどい出来事を生み出すのに十分であることを理解しています。私は約30年間、神に背を向けていました。その間、誇りに思えない多くのことをしました。誰にも悪く思われたくありませんが、正直に言うと、麻薬、アルコール、犯罪などに手を染めました...私は世界と人間のやり方に従って間違った道を歩んでいました。私は何度も死ぬべきでしたが、神はその間ずっと私を生かして、今日の私を連れてきてくれました。神の名を賛美し、神に感謝してもしきれません。もし私があの時死んでいたら、イエスのもとに行くことはなかったと思います。それは非常に厳粛な考えです。ようやく神を求め始めたとき、自分が子供の頃に通っていたリベラルなプロテスタント教会によく似た教会にいることに気づきました。私は自分が正しい場所にいると信じ、教会を率いて真理を教えている人々を信頼しました。聖書研究会や定期的な礼拝に出席し、真理を求め、神を知り、神の言葉を理解したいと思いました。しばらくすると、そこで語られていることと聖書で読んでいる内容との間に多くの矛盾があることに気づき始めました。私はその時は、細かい違いなどは知りませんでしたが、何かがおかしいと感じ続けていました。そこで、自分で聖書を読み、理解しようとしました。しばらくして、聖書で見つけた事柄について牧師に質問し始めましたが、牧師が教える理由として挙げたつまらない言い訳がまったく信じられませんでした。誤解しないでください。私は誰かを非難したり、あなたの牧師や牧師が間違っているとか、あなたが真実を教えられていないと言っているわけではありません。私は単に自分の身に起こったことを話しているだけです。彼が聖書を操作して、自分が教えることが真実であるように操作し見せかけたことに、私は非常に驚きました。しかし、彼が引用したものを読み、それが本当に何を意味するのかを知るために本全体や章を読むと、真実は簡単にわかりました。特に強調したいのは、自分自身で新約聖書を初めて全部読んだとき、神の言葉に対する理解がはるかに深まったことです。私の言いたいことは、私は本当に救われていると思い、それ以上のことを深く知らなかったので、すでに真実を知っていると思いこんでいましたが、「神の真実」を本当に探し始めたとき、神が私をその真実へと導いてくれたということです。わたしは、読者がこの本を通じて、多くの刺激を得て、同じように行動に移してくれることを望んでいます。

私たちがすべきことは、自分で聖書を読み、牧師が真実を教えていないとわかるほど十分に理解するまで聖書を読むことです。私たちは、真理が教えられている教会を見つけたいと強く願っていますが、最も重要なのは、私たち自身の心と精神で神の真理を理解することです。もしあなたが真理を教えていない教会にいるなら、そこを離れて、真理を教えている教会を見つけてください。

この記事は英語から日本語に翻訳され、Web サイト所有者の同意を得てこの Web サイトに掲載しています。

オリジナルサイト(英語)bibleprophecyandtruth.com

英語の元記事へのリンク    

The Deception